2016年12月17日土曜日

自分は断固「ブロガー」ではないけれども

今まで、ブログを作っては潰し、作っては潰し、を繰り返してきて、



これまでに10個くらい、ブログ(やオウンドメディアに近いもの)は、作ってきたんじゃないかと思う。




最初に作ったのは、大学生の時のブログ。


当時2008年くらいだったけど、なぜかあの時から「大学に進んだらブログをしたい」と強く思っていて、入学した年の夏くらいからブログを始めた。



このブログは、大学を卒業してブラック企業に勤めて、そこを辞めるまで約4年間書いた。

もちろん、毎日書くなんてことはできなかったし、1つの記事に対してタグを複数付けていたから、どれくらい記事を書いたのかはきちんと分からない。


けど、今見返してみたら、500記事くらいはかいているんじゃないかと思う。





その後作ったブログは、ブラック企業を辞めた時に「リセットしよう」と誓ってブログを新しくしただけだけど、これだけで結局約1200記事。


今でも月に1万PVくらいはアクセスがある。




その後、レバレッジ講座のブログ(これ)も書き始めて結局900記事弱ストックはあるし、


独自ドメインで作ったブログも3つくらいある(ドメインは1つで、サブディレクトリを作っている)。これら全てで、記事数は約450。





管理人さんのように、1つのブログを使い倒して書き続ける、ということはできていないけど、自分も「記事数」だけはそれなりの継続を続けてきている。



なので、ほとんどお金になってはいないけれど、そこら辺に転がっている「ブロガー」さんよりは、書くことに対する情熱というか義務感のようなものは強いと思っている。



けれども、ここまでしても自分は「ブロガー」ではないと思っている。




なんというか、そんな軽いチープな4文字で、まとめられたくないのだ。


それに、自分ほど文章を書くことを続けていない人に「好きを仕事に」とか言っているのが、嫌なのだ。




実は「フリーランス」という言葉も、どこか軽さがあって好きではないのだけど、それもまた同じ理由。




「個人事業主」とか「特許翻訳者」とか、イカツイ漢字を使って表現するほうが自分は好きですね(笑)




でも。



言葉で表現をすることを生業にしているけれども、本当のメッセージは、言葉では伝わらないんじゃないか、と思っていることもあって。



自分がブログを何個も作って、記事を書き続けてきた、ということの凄みや重みは、他人にとってはどれほどのものか分からないけれども、もしそれに対して何か動かされるものがあるのであれば、



それは、言葉そのものではなくて、その言葉が作るイメージ(シニフィエ)の重さであり凄みであると思う。(まあ、シニフィエも言葉そのものの1側面ですけど)



そして、シニフィエを伝える方法は、何も言葉(シニフィアン)だけではないはず。




「人の背中を見て人は育つ」ということがあるように。



もしかすると、言葉を扱うことを生業にする人間は、シニフィエと徹底的に向き合う必要があるのかもしれない。





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