2016年12月13日火曜日

自分が「アンチ・ベルリン」である理由

実は、数年前までは「ベルリンは憧れの地」だった。



というのも、フリーランスが集まる「オープンな環境」で、自分も海外で生活するならそこが過ごしやすいのかな、と思っていたから。


それに、日本人で憧れを抱く人がいた、というのも理由にある。





が。




自分が特許翻訳の勉強をしてプロになって、ある程度仕事を続けたり勉強を続けて気づいたのは、


「ベルリンにいるフリーランスはそこまですごくはないな」


ということだった。



これは、講座を通して培った知識や考え方、思考力によるものが大きいと思う。




例えば、このブログで何度か登場している中善寺湖ボートの翻訳者さん。


ウェブの世界ではブログもバズり、ブイブイ言わせているようだけど、少なくとも翻訳に関しては失笑レベルの設備。


最近始めたというメルマガも、登録はしたものの音沙汰が一切無い始末。




「FBでいくらイイネがあっても、twitterでいくらリツイートされても、1円にもならない」という名言を最近知ったが、まさにそれ状態にあるんじゃないかと自分は読んでいる。




あるいは、「ホテルでノマドしてみた」なんてブログ記事を書いてドヤ顔しておきながら、ヨーロッパのとある観光地でトートバック1つでウロウロしていたら、「獲物」を察知した人間に狙われて貴重品を盗難に遭いそうになっていたり。


すられた貴重品入れの中に普段は超重要な身分証明書を入れていて、その時はたまたま別のところに入れていたから盗まれなかったからよかった、ということだが、これで「フリーランス」ができているのだから、普段の危機管理意識の低さがどんなものかがうかがい知れる。


これで本当にフリーランスで仕事をできているのだろうか、という疑問を抱くのは、講座卒業生や受講生であれば当然だと思う。





あるいは、イケハヤさんのように、ベルリンから日本をあおり続けている人もいる。別にあおるのは悪くないと思うけど、そもそも「日本が嫌いだから」という理由で外に出たのなら、環境を変えてからも延々とあおり続けるのは、大人としてどうかと思う。それってただの、コンプレックスの裏返しじゃないのか、と。


しかもタチが悪いのは、この人は「これからは英語力とIT(プログラミング)」と言うことを、未だに力説していること。どうやら「個人がスキルを付けるには英語力とプログラミング」が必要らしい。


が、それらを身につけてもただの「奴隷のトップ」にしかなれないんじゃないだろうか。自分なんて「プログラミングが必修科目になる」というニュースを見たときに「これでライバルが減る…」と本当に胸をなで下ろしたぐらいだから。


そりゃ、英語力とプログラミング力があるにこしたことはないと思うけど、それだけじゃだめでしょう、というのが、講座を受講して勉強した自分の思い。まあ、ライバルが勝手に減っていってくれるのはいいことなのかもしれないけど、やっぱりこういう人について行ってしまう人がいるをの見ると、悔しい気持ちもある。


あと、この人は「情報商材なんて詐欺」と一蹴しているのだけど、講座で和佐さんや原田さんといった「ネット界のトップ中のトップ」を知ることができて、彼らの教材も購入して勉強している身からすると、そんなことを堂々と言っているお前は情報商材買ったこともないやろ、と一矢報いたくなってくる。




と、いろいろ書き殴ってしまったが、要するにこういう人達が集まっているのがベルリンという場所で、個人的には今後絡みたくない人達ばっかりだ、ということなのだ。



それに、なぜかこの人達は「ベルリンが今アツい!」ということをしきりに発信しているのだけど、そりゃ、ベルリンに集まるスタートアップ企業のレベルはヨーロッパ屈指かもしれないけど、それ≑「ベルリンがすごい」ってことじゃないと思う。っていうか、そういう発信をしている人達がそんなにすごくないという…。



それに、ベルリンが選ばれる理由というのは
・フリーランスのビザが取りやすくて
・物価が他の国内地域よりも安い
というものらしい。(ただ、最近は中東からの移民問題もあって、滞在許可を得るのは難しくなっているようだし、物価も漸増しているとのこと)


しかし、こんな理由で「移住」を決めるのって、どうかと思う。


だってそこに「愛と情熱」はないから。



チェンマイ移住したお猿さんは、「そこで暮らしたいから」という理由で移住をしたようだし、


自分だって、「ポーランドで一度長いことくらしてみたい」という理由で、ワーホリを利用して引越してみた。


あるいは、講座受講生でも沖縄の離島に行ってみた方もいるようだし、



「ここに住んでみたい」「ここに行ってみたい」


という、純粋な動機や好奇心が最初にあったほうが、何かと楽だと思う。




だって、フリーランスビザがおりやすい、という環境が変わったら、どうするのだろうか。


物価が他のエリアと同じ水準に上がってしまったら、どうするのだろうか。


それでも「私はここにいたい」という理由が、僕がネットで知るベルリンフリーランス(数は結構多い)の発信する情報からは、伝わってこない。



まあ、原田さんも「不純な動機で始めよう」と言っているので、別に問題ではないと思うのだけど、「好き」が全面に出ていないと、どうしても無理している感が出てしまうし、個人的には、もっと他のところで好き勝手に生きている人達に憧れたほうがいいんじゃないかなあ、と思う。




それに、まだ付け加えると…



ベルリンに集まっている日本人には一定数「新卒でフリーランス」になった人がいるようだ。


で、「新卒でフリーランスになるのは是か非か」みたいな論説を発信している人もいるのだけど、




個人的には、それって超どーでもいいことだと思う。


だって、フリーランスにせよ会社員にせよ、大事なのは「相手に価値を提供する」ことだから。


そして、「相手にとって価値とは何か?」


これを考えることができれば、そしてそれを提供することができれば、学生だろうが新卒だろうが何だろうが、フリーランスになることはできる。



ただ、



自分は会社員を少しだけやっていて、この経験が良かったのは

「ビジネスのルール」

がどんなものか、ということをおぼろげながら理解できたことだと思っている。



会社がどういう論理で動いているのか、

どれくらいビジネスの場は忙しいのか。


そういうことを肌感覚で掴めたことは、自分がフリーランスになったときに明らかにプラスになった。



そして、個人差はあると思うのだけど、「会社員を経ずにフリーランス」になる人は多くの場合、この「ビジネスのルール」「ビジネスというフィールドの緊張感」を腹で理解していない。



だから、「自分をブランディング」すればどうにかなると思っているし、「私に仕事を下さい」なんて乞食同然のことを、堂々と自分のホームページですることができる。


それに、なぜか「ベルリンに集まるフリーランスの人達は、お金に興味がないんです」なんてことを発現している人もいる。


いや、確かに「人間の価値はお金では計れない」し、「人生はお金が全てではない」というのは事実だと思う。


けれど、少なくともビジネスの世界における物差しは「相手にどれだけ価値提供をしたか」ということであり、「その価値はお金で計られる」という共通ルールが存在して、「相手に与えた価値の10分の1が自分の稼ぎ」とも言われている。


だから、少なくとも「フリーランス」としてビジネスのフィールドに立つときは、もっとお金に対して感度をあげないといけないんじゃないだろうか。


「お金に興味の無いフリーランス」なんて「私は価値提供をできていません」ということを自ら公言しているようなもの。自分には発言者の頭の中が分からない。





とにかく。


こういう「感度の低い」人達がうじゃうじゃあつまる街、という認識が自分の中にはあるので、自分はアンチを張っているんです。




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