2017年1月18日水曜日

文脈理解とサンクコスト

翻訳で一番必要な力は「コンテクスト理解力」というのは1つの意見で、


それはもちろん必要な力なんですけれど、



この「コンテクスト理解力」って、人生的に考えてみるとかえって邪魔なこともありますよね。



例えば、


「お医者さんになりたいから医学部に進む」とか


「弁護士になりたいから司法試験を受ける」とか


「有名企業に入りたいから有名な大学に進む」とか



自分の人生で、人によっては物心ついたときから


「将来はこうなりたいから、こういうプロセスを経て…」とか


「昔こういうのに興味があったから、これを選んで…」とか


必ず、物事の判断には「コンテクスト」があるわけですよね。



こういう風に、自分の人生にコンテクストを加えて、考えて選択をするって


非常に大事なわけなんですけれど、



その「コンテクスト」が破綻してしまうと、まずいわけですよね。



例えば「有名大学に行っても大企業にいけるわけではない」とか


「有名企業に入っても一生安泰なわけではない」とか


あるいは、医学部に進んだけれど、別のことに興味を持って自分の進路に悩むとか。



世の中的に、共有されていた「コンテクスト」が通用しなくなることもあれば、


人生なんてある意味流転的なものだから、時の経過と共に自分の興味関心が変わることもあるわけで。



そういう時に、今まで考えていたこと=自分のコンテクストを意識してしまって、細かい軌道修正ができなくなってしまうことも、「コンテクスト理解」をすることによる一面としてあるんじゃないかな、と。



将棋をやっていると、指し始めから終局までは当然、自分なりの構想があって読みがあるので、


玉はこういう風に囲おう、とか


攻め駒はこう配置しよう、とか


ここから相手の陣形を突破していこう


っていう考えと共に、一局の中でも「コンテクスト」が生まれてくる。



ただ、このコンテクストがあるからこそ、ミスもするし逆転も起こる。



自分が有利になったら、「こういう流れて有利になったから」というコンテクストが邪魔をして


安全に安全に指そうとして、相手の勝負手を食らって逆転してしまう、ということもある。



将棋には、これとは別に、いきなり途中の局面を見て「次の一手」を考えることもあるけれど、


これは、コンテクストが自分の中にないからこそ、指し手を考えるのが難しい、という一面がある一方で、


コンテクストがないからこそ、先入観なく読みを入れることができる、という一面もあるわけで。



だから、コンテクスト理解・コンテクスト把握って大事な一方で、場合によっては障害物となってしまう場合もある。



「人間には、突然何かを始める権利があって、それが人間が自由であるという本当の意味だ」というようなこと言ったのはハンナアーレントのようですが

(この話を聞いたのは、和佐木坂ラジオでしたけど)



ある意味、人間が人間である所以は、大きな文脈の中でも「コンテクストを無視できること」にあるんじゃないか、と思う。


だから、「意外性」とかがウケの対象になるわけで。



このあたり、人工知能の仕組みはどういう風になっているのかな、と思う。

(将棋に関して言うと、人間が「こういう手はない」という指し手を平気で指せるので、恐らくコンテクストは関係なく、物事を「点」で捉えて、その場での最適解を出す、という仕組みになっているのだと思うけど)



だから、人工知能がもっと普及すると、意外性が高いことが起こらなくなってしまうのかなあ、と思ったけれど、よく考えてみたら、人間が読みもしない手を指す将棋ソフトは、それ自体がある意味「意外性」なので、単純につまらない、というわけでもないのかな。




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