2017年1月18日水曜日

言葉の字面、という罠

時々、機械系の案件の仕事を受けることもあるんですけど、


機械って今まで、苦手意識が強かった。


というのも、日本語だと「摺動」とかなんとかかんとか、という風に「明細書以外のどこで使うんじゃい」って用語が多すぎて、しかもそれがイメージし辛い、というのが理由だった。



けれど、仕事で明細書の図面をみつつ、調べ物をしつつ、文章を追っていちいち図解したり、頭の中でイメージをしてみると、案外、どこがどういう風に動くのか、というのは分かる。

(昔やった案件の中では、1つの図面にパーツが何十個も細かく書かれていたのがあって、あれはトレースするのがしんどかったけど、もうちょっと上手く図面を書いてくれよ、っていうのが感想)



なので、機械系が全てできる、というわけではないけれど、何度か担当した案件は、瞬時にイメージできることも増えてきたし、そこまで苦手意識はなくなった。


そのイメージができたら、自然とマイナーな言葉もすっと理解できるようになっているし。



数ヶ月前に気づいたのだけど、言葉に携わる仕事をしている身としては、「シニフィアン」(記号表現)とにらめっこしていてはだめで、徹底的に「シニフィエ」(記号内容)と向き合うことが大事なんだろうな、と(もちろん、自分が知っているシニフィアンを使わないと、未知のシニフィエを理解できないわけだけど)。


言葉の世界は奥が深いなあ、と思うし、こういうことを考えながら仕事をできるのであれば、もうちょっとペースを落として心に余裕を作って生きていくのもありかな、と思った。



(ただ、化学系や生化学系だと、構造式や官能基等が「普遍文法」としてあるので、頭の中ですぐにイメージできるけれど、機械系だとそれぞれの明細書の「具体的構造」を把握する必要があるので、トレースにはやっぱり時間がかかる。ので、個人的には式を頭の中でいじれることが多い化学・生化学系が好きだな)



0 件のコメント:

コメントを投稿