2015年8月24日月曜日

羽生さんと和佐さんの共通点

昔読んだ将棋雑誌で羽生さんへのインタビューがあったのだけれど、その時にインタビュアーの質問に対して、羽生さんと以下のようなやりとりをしていた、と記憶している。


イ:「(相手が実践で新手を指したときに)、それを否定しにかかる、と?」


羽:「いえ、否定じゃなくって、検証です(笑)」



前後の文脈まで覚えていないので恐縮だが、


今になって思うと、これは「先入観を排除して局面を見る」能力なんじゃないか、と思う。

昨日のブログでは、ある局面での考え方とコンテクストの話を書いたが、この一言で、羽生さんは必ずしもコンテクストを重視しているのではなく、あえてそのコンテクストに逆らった読みを抵抗なくできるんじゃないだろうか?と。


これってどういうことか、というと、相手を頭から否定しないということだと思う。

相手が指した手を尊重したうえで、それが良い手なのか悪い手なのかを頭を使って検証していく。


他の棋士がどうなのか分からないけれど、恐らく新手がでると、「それって通用するのか?」という先入観(=おそらく悪い手なんじゃないのか? というような感情的な支配)が最初に出てきてしまうのだと思う。

一度だけ過去に、羽生さんの対談を生で聞いたことがあるけれど、あの人は考え事をする時に、天井のほうをずーっと見ていた。

で、何かの質問に対して「いや、そういうことじゃなくって」という、相手を否定するような言い回しが全くなかった、と記憶する。

質問に対しては必ず、「えーっと、そうですねえ…」というように、相手が意図していることを一度は受け入れよう、という態度を取っていた(少なくとも第三者の目には)。




ここ数か月、気分転換をしたいときには和佐さんの音声を聞いているのだけれど、気付いたのが、和佐さんも羽生さんと同じように、相手を頭から否定するような態度を取っていない。


誰かとの対談音声でも、(おそらく和佐さんよりレベルが低い人との話でも)、質問に対する答えには一度、「うーん」というような、自分と相手との間にある差分を見ているような時間が、ある。


その上でコミュニケーションロスが起こっているのであれば、自分の考えを説明する。



自分はあまり、こういうコミュニケーションスキルのようなものを考えたことがなかったけど、恐らくこの二人はものすごいレベルの高いことをしているのだろう。


今までに何度も経験があるが、ステータスが他人より高いから、実績が多いから、収入が多いから…というような人に限って、相手の話を否定する、というか、自分の話に誘導しているきらいがある。


もっというと、「人間はそこにあるものを見るのではなく、自分が見たいものを見るのだ」という言葉があるけれど、羽生さんと和佐さんは少なくとも、「そこにあるもの」を見ようとしている(そして、それが見えている)のではないか、ということだ。



そうだとしたら、やっぱりこの人たち只者ではない。

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