2015年8月23日日曜日

新手一生と新手一勝

これまた将棋の話。


かつて、「新手一生」と言われた時代があった。


従来どちらかが不利、と言われている局面で新しい手を見つけると、その対策が講じられるのに時間がかかるので、一生勝ちまくれる、というような意味。


しかし技術進歩と情報伝達が早くなった今日では、新しい手を指してもその情報が瞬時に棋士の間で拡散して、ソフト(将棋ソフト)を使って対策を検証し、咎められることが多くなった。


なので、「新手を編み出しても稼げるのは一勝だけ」という揶揄もこめて、現在ではこの「新手一勝」という言葉が使われている。


20年くらい前に一世を風靡したかの「藤井システム」も、優秀な対策が現れて現在はほぼ絶滅している。



で、新手の話で思い出したのが、昔読んでいた将棋雑誌にあったプロへのインタビューで、「一局の中で本当に自分が指したい手が指せるのは、せいぜい5手か10手。その中にどれだけ、自分らしらを表現できるかを突き詰めるのかが、プロだ」という回答があった。



どういうことかというと、

将棋の一局の手数はだいたい100~120手。

それは自分と相手が交互に指すので、自分が指せるのは実質50~60手。

そして、その中でも序盤の数十手は「定跡」といって、「これまでの実例から、こう指すのが良い(均衡が取れて不利にならない)」というレールがある程度決まっていて、

かつ終盤になると、相手玉を詰ますのに、手順がこれまた決まっている(こう指さないと詰まない、ということ)ので、そこでも、「本当に自分が指したい手」はさせない、という。


なので、一局の中でプロが他のプロと違うことを証明できるのは、中盤から終盤にかけての10手くらいの中に、何を込めて表現できるか」なのだという。

(つまり、単純に飛車を打って、端にある桂香を拾うのに一手かけるのは、プロのあるべき姿ではないんじゃないか、ということだった。)



これもまた、特許明細書に似ていると思う。


特許明細書も仕様があって、従来技術の説明や先行文献の開示、実施例の表記などあるし、研究者が本当に特許の新規性を表現できるのは、「発明が解決しようとする課題」周辺の、わずか数ページだけなのではないか。(明細書には定型句も結構出てくるし、これは将棋で言う「定跡」と同じだと、今は思っている)


分析が不十分な感は否めないけれど、将棋も初手に始まり投了の局面で完結するし、明細書もその一枚で話が完結するので、一つのストーリーになっている、という意味では似ているのではないか。(翻訳で言うと、トリセツとかHPとか、そういうのはストーリーは明細書ほど強いものではない)。


だから、特許明細書って将棋の一局とおなじで、もともと従来の技術思想(定跡)や克服したい課題(この局面に持っていくとこちらが不利)があって、じゃあ特許の新規性(新手)を研究して披露してみます、という構造になっているのだろう。(もちろん明細書には、将棋にあるようなタタキ合いや、終盤詰むや詰まざるや、というのはなくって、かならず新手を披露した側が(とりあえずは)勝つようになっているのだけれど。)


そうすると、その特許を潰しにかかるのが、将棋で言う「新手対策」なんでしょうね。「この手に対してこう指すとこっちが有利になるんじゃね?」って考えるのでしょう。


とすれば、その特許が「新手一勝」になるのか、「新手一生」になるのか、というのは、弁理士の手腕にかかっているのかなあ。



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