2016年1月1日金曜日

自分を見つめるって難しい

最新号のビデオを見た。


それを受けて改めて自分の方向性を考えてみたが、これってなかなか難しい。

数ヶ月前に、2016年以降に挑戦したいこと、自分の理想像を数年単位で、イメージできる範囲でQOLノートに書いてみたのだけど、


当然ながら、三年後以降は殆ど白紙状態。
(2016年の欄はびっしり埋まっている)

(今までもそうだったけど、三年先をはっきりとイメージできたことがなかった。目先いろいろやっている中で、ぼんやりとしたものがだんだんとはっきりしてくることが多かったから、そういう風に構えているだけなのだけど)


将来的には、ネットビジネスなどにも展開をして、自分のビジネスの柱を複数作りたい。

が、それ以前に、特許翻訳も極めたいし、法律系も足を突っ込みたい。


今後数年間での一つの目標に、海外長期生活があるのだけど、その先は(帰国するのか、海外で住み続けるのかなど)決めていないし(どっちでもいいかな、と思っている)、今の段階で、数十年先のことまでは考えられないのだけど、その一方で、自分のコアは少しずつ発掘していかないといけないと思う。

ただ、どのように発掘すればいいかもよく分からないので(自分の場合、マインドマップより、こういう風に文章化したほうがしっくりくるので、そうしている)、とりあえず頭に出てきたことから書き出しているのだけれど。


(もともと、「誰か(不特定)に見られる」ほうが身が引き締まるので、文章をメモ帳やマインドマップに書いてしまっておくのは、苦手。


そういえば、自分は「好きなことに全投入」するタチなので、将来の不安から身を守るために●●、みたいな動機付けで動くことはできなかったな~、と、ふと思った。
(そうじゃないと、時刻表の巻末を読みあさったり、パソコンに向かって何時間も将棋をしたり、していない)


じゃあ、「何を好きになるのか」ということなのだけれど、この辺りはまだ言語化できていないな…。


もともとあまのじゃくなので、「みんなが目を向けないことを好きになる」という行動を無意識的に行っているのは間違いないのだろうけど。


(将棋でも、誰も指さないような戦型をひっさげて戦って、結果を残すことにロマンを感じていた)


根っこがあまのじゃく精神、というか、判官贔屓な人間なのだろう。



あと、ハラショーじゃないけれど、「異世界が握手する」ことも好きだったりする。
これとこれがくっつくことができるのか?という「意外性」に気づいたときは、脳が活性化される。
(まあ、誰でも同じか…)


Leverage Styleでネットビジネス系の講座を受けるかどうか(及び、それに際して講座延長した方がいいのか)は割と悩んでいるのだけど、


自分でしっかりと仕事と特許翻訳の勉強以外の時間を確保して、今までの体験とか、感銘を受けた本の中身をブログで書いたりして、地道に自分を見つめ直す作業を続けた方がいいのかも知れない。


(あと、「不特定多数の人に読んでもらう」のが好きなのは、一対一で読むと、その相手のフィルターを通してしか見られないのが、あまり好きではないから。解釈が限定的というか、不特定多数に読んでもらうと、百人百様で受け取ってもらえるし、セレンディピティが生まれて予想外のものが生まれる、と思っているから。そういえば、予定調和や出来レースも好きではないな…)


もやもやしていたけど、言語化してみたら少しは落ち着くもんですね。



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